種をまく人
その町の片隅には小さなスナック「シード」がある。
そこは、女のママが経営している。
ママは、たくさんの経験をつんでいて、いろんなことを知っていた。
常連のお客さんや一元さんは、時々、ママに相談していた。
今日もママさんに相談する客がいた。
客の名は、猫目と言う。
「ねぇ、ママさん。絵描きって辛いですね?」
「あら、どしうして?」
「そこそこ売れてくると、本当に自分の書きたい絵が描けなくなるんですよ。いろいろ、仕事があってね」
「それは、羨ましい悩みじゃない?」
「ママさんは、いつもそうやって、かわすんだから、たまには、ママさんのことが知りたいな?」 猫目はウイスキーの入ったグラスを傾けた。
ちゃりんと氷が弾き、いい音がする。
「あら、おかわり?」、ママは猫目のボトルキープを取り出し、いとおしげに、グラスにウイスキーを注いだ。
「そうね。昔、自分が神様に選ばれてると思ってる女の子がいてね」
「ほう」
「最初、彼女は女優になりたいと思って、演劇部に入ったの」
「それで?」
「彼女は、容姿もいいし、演技力もそあって、すぐ主役候補に選ばれたわ」
「その女の子、女優になったの?」
「ううん、なれなかった。彼女は、やがて、病に陥るの」
「どんな病気?」
「よく分からないんだけど、脳外科の病気だそうよ?」
「大病しちゃったんだね?」
「・・・そうね」
* **
痛い、頭が痛い。
佐代子は、原因不明の頭痛に悩んでいた。
どこの病院に行っても、神経的なものだとか、疲れだとか言われて、病院を7件回った。でも、最後の病院でMRIをとった。
そこで、医者に脳腫瘍だと宣告された。
佐代子は、すぐ、病院に入院。
検査の結果、普通の生活はできるけど、女優は無理だと言われた。
すぐに医者に問い詰めなぜですかと聞いた。
「手術の後遺症で顔面麻痺になります」医者は、申し訳なさそうに言った。
「そんな、そんな・・・、」佐代子の頭の中は真っ白になった。
「せめて、次の舞台まで、手術を待っていただけますか?」
「舞台はいつですか? 9月です」
「それは、できません。緊急の場合以外、夏に手術をしないので、」
佐代子はそれを聞くなり、カンファレンス室を飛び出した。
* **
「それから?」猫目は言った。
「彼女は、女優を諦めて、ロッカーになろうと、ギターの練習をしたの。来る日も来る日も、指の皮がめくれてもやったの」
「それで?」
「もちろん、ボーカルの練習もしたわ。でも、あるプロダクションの人に言われたわ」
「なんて?」
* **
「君の詩には、メッセージがこめられてるね」
「はい。テーマは脱出です」
「悪いけど、メッセージは要らないんだ。今求められてる音楽は、BGMになる、軽くて、耳にはいってくる曲なんだ。これじゃだめだよ」
* **
「彼女は、音楽を諦めた。次に絵描きになろうとしたわ」
「ほう、僕と一緒だね」
「でも、展覧会の主催者に言われるの」
* **
「君の絵は、下手じゃないけど、なんて言うか、ヘビーなんだよ」
「ヘビー? そう書きました」
「いいかい? 人々は自分を安心させてくれるものがいるんだ。佐代子ちゃんは、ひょっとして、妥協できないんじゃないのかな?」
「・・・妥協? そんなこと、そんなこと、・・・そうです」
「絵の描き方を考えて・・・、」
「失礼します。」
佐代子は家に帰り、涙した。
* ***
「何をしても、彼女はうまくいかなかったの」
「うん」
「彼女は、他にも作家や料理人、映像作家、なんでもしたわ」
「うん」
「でも、時代と合わなかった。彼女は、あることを思ったの」
「何?」
「自分は、もしかしたら、神様に選ばれてないんじゃないかって」
「うん」
「彼女は、完璧に打ちのめされたわ」
「うん」
「打ちのめされて、自殺未遂までしたの。でも、彼女の母親に言われたわ」
「なんて?」
****
「あんたぐらいの、才能はどこでも転がってる。あんたは、種をまく人になればいいわ」
「種をまく人?」
「悩んでる人の話を聞いてあげる。そんな職業になればいいわ」
「うーん、分かんないな」
「あなたは、料理が得意だから、小料理屋でも開いてみればいいんじゃないの?」
「そっか。ゆっくり話をしたいから、スナックのママになるわ」
「そうね。そうしなさい」
* **
「やっぱり、ママさんだったんだ?」
「あは、今日は気分がいいから、昔の話をしたのよ」
「じゃあ、僕はどうしたらいい?」
「自分のために絵を描くのはどうかしら?」
「自分のために?」
「描きたくてどうしょうもなかったことを思い出して、商業的なことなんか忘れて、自分のために絵を描けばいいと思うわ」
「うん、できたら、ママさんに一番に見せるよ」
「はい。でも、お勘定は別よ?」ママは、いじわるに答えた。
「あはは、商売は別ってか?」
「一万5000円よ」
猫目は財布をとりだし、料金を支払った。「なぁ、今度、ママさんの絵見せてよ?」
「暗くて、重たいわよ?」
「それが、ママさんの描きたいものだから、いいんだよ」
「分かったわ」
終わり。