帰ったらトンカツを食う1
私は、幸子。あだ名はちょろ。アマチュア劇団の一人だ。
はっきり言って、容姿もよくないし、演技も下手。それは分かっている。
当時、劇団の主催者をやっていた。竹内から手紙がきた。竹内は、猫背で身長が高く、女なのに怪しい兄ちゃんという風貌だ。
その手紙の始まりは、「ちょろ、夢を見ないか?」と言う文章で始まっていた。
演劇に対する熱意が書かれていて、それは、今になっては思い出すことができない。でも、熱意が書かれていたことは覚えている。
「ちょろ、夢をみないか? 一緒に劇団をやろう」手紙の最後には、こう綴られていた。
その頃、私は、高校を卒業してフラフラしていた。
そして、もう一度、学生時代のような夢に溢れた生活を望んでいた。
私は、すぐ、電話をし、OKをした。
もう一人、同じように手紙を出されたであろう同級生がいた。
名は甲元さん。なかなか気さくで、おせっかい焼きで、これぞ、大阪! という感じの子だった。
3人は、甲元さんの家で劇団の名前を決めていた。
甲元さんが「何がええかな?」と言えば、私が「何でもええやん?」と返す。
その間、竹内が頭をかかえている。という感じだった。
ひとしきり、悩んだ後、私は、(この劇団はお荷物劇団だよなぁ。)と思い、「劇団あしでまといでええんちゃうの?」とポツリと言った。
甲元さんが「それ、ええかも?」と答え。竹内は、頭をかかえていた。
それで、なんとなく劇団名は決まってしまった。
今思えば、こんなことで決めていいのかと思うが、決まったものはしょうがない。そんな性格の私は、ちゃらんぽらんだ。
そのまま、劇団員を探すだのスタッフを募集するだの話したが、その日はまとまらなかった。
次の週。
また、劇団員を集める話。
どこかで、劇団員募集のチラシを張ろうということになった。
私は、近くのアポロビルがチラシを張らせてくれるのを、偶然見ていたので、それを言った。
竹内が「そりゃあいい!」と言い。
甲元さんは、すぐさま文章を書いていた。
いつもスローペースなのだが、竹内と甲元さんは、やるとなったらテキパキとチラシを仕上げていった。
その間。私は、遊んでいたが・・・。
そう、私は言いっぱなしの人なのだ。案はポンポン浮かぶけど、実際に仕事してるのは、別の人ってわけだ。
次の週もその次の週もチラシの反応はなく、過ぎていく。
しかし、劇団員を集めないといけないという焦りがあった。
竹内は「友達に声かけてみてよ?」と言う。
が、私には、演劇をするような友達はいなかった。
しかたなく、竹内は友達の一人の名をあげた。「がんちゃんは、どうだろう?」
「どんな人?」私が返した。
「ダウンタウンの浜ちゃんに、似てるよ」
「女やのに、似てるん?」
「そうやねん」
続けて竹内が「後輩なんかどうだろう?」
「ああ、あの子な」
甲元さんが言った。「いいんとちゃう? 私ら面識あるし」
私達は、5人でやれる鴻上尚史の「朝日のような夕日をつれて」をやろうと決めた。
そして、がんちゃんと呼ばれる子と竹内の後輩に会う日がきた。
がんちゃんは、身長は低いのになんだか、自信にあふれている子。顔は漫才師みたいだが、一目見たときから、私は、ガチャピンに似ていると密かに思っていた。
後輩は、青白く、いかにも、体が弱そうな印象だ。
今思えば、二人が着てくれなかったら、舞台もできない状況だった。
今思えば、すばらしい仲間と言えよう。
演技をして私は驚いた。がんちゃんがうまいからだ。
セリフを読みながら、かつ、オリジナリティーに溢れていた。
これはすごい!と思った。
(竹内よ。よくぞ、こんな人材を集めてくれた)などとこっそり思っていた。
かく言う私は、下手だった。
自分でも下手だと思うのだから、人から見るとかなり下手なんだろう?とも。
平日は、辻料理専門学校に通うかたわら、こんなことをしていたのだから、料理の勉強に身が入る訳でもない私は。完全に演劇の世界にのめりこんでいた。
母に怒られ、父に怒鳴られていた。
私は、だんだん料理がどうでもよくなっていた。
そして、4月の終わりに専門学校を辞めた。
昼は、家業の食堂を手伝い。夜には稽古に出かけていった。
しかし、親が支払える給料だけでは、劇団は成り立たない。
私は、甲元さんに紹介してもらって、郵便局のバイトを始めた。
早朝に行くことにし、フル回転で毎日を過ごしていた。
ある日の稽古場。
「ねえ、発声練習とかやらんの?」と、私が聞いた。
「やるけど、ちょっと恥ずかしいやん」竹内が答える。
それでも、何とか発声練習は始まった。でも、なぜか5人は、バラバラにしていた。体育会系の私は、そういうことは恥ずかしくなかったので、不思議だなぁ。と思っていた。
そして、いつも違和感を感じていた。
私はかなり下手なのに、どうして、4人は付き合ってくれるのだろうかと。
人数が足りないから? そう言ってしまえばおしまいだが、私が欠けても新しく劇団員を入れればいいのに。
しかし、もし、あの時、竹内が切っていたなら、これから始まる苦痛を耐えることはできなかっただろうと私は思う。